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東京高等裁判所 昭和45年(ラ)418号 決定

抗告人(被審人) 日本航空株式会社

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一、本件記録によれば、抗告会社は、昭和四四年九月三〇日付をもつて、東京地方裁判所から「被申立人は、被申立人を原告とし、申立人を被告とする当庁昭和四四年(行ウ)第一五五号救済命令取消請求事件の判決が確定するまで、申立人が中労委昭和四二年(不再)第五三号事件において維持した東京都地方労働委員会の昭和四二年八月二二日付命令(都労委昭和四一年不第二〇号不当労働行為申立事件)に従い、小嵜誠司、田村啓介、藤田日出男、丸山巌らを、昭和四〇年五月七日当時の原職に復帰させ、同人らの技能を回復させるために必要な訓練を行ない、昭和四〇年五月八日以降原職に復帰するまでの間に同人らが受けるはずであつた賃金相当額を支払わねばならない。」との決定をうけ、右決定は翌一〇月一日抗告会社に送達されたこと、しかるに、抗告会社は、昭和四〇年五月七日当時の原職である中央運航所乗員部(現在は、運航乗員部と名称変更)の、小嵜は航空士、田村はDC―八型機の航空機関士、藤田はCV―八八〇型機の副操縦士、丸山はDC―八型機の副操縦士に復職させず、また乗務させるために必要な訓練を行なわなかつたこと、昭和四五年八月にいたつて、ようやく、右原職に復帰させる旨の辞令を出し、小嵜・田村の両名についてはシラバス(訓練要綱)を明示して訓練を開始したが、副操縦士である藤田・丸山の両名については、訓練に危険があるとの理由から今だに訓練を開始していないこと、以上の事実を認めることができる。

二、右緊急命令不履行を理由として、東京地方裁判所は、昭和四五年五月一八日付をもつて、抗告会社を過料二〇〇万円に処する旨の決定をしたのであるが、抗告会社は、右決定は違法であると主張し、その取消と抗告会社を処分しない旨の裁判を求めるので、当裁判所は、後藤安二、藤田日出男の両名を審問したうえ、以下抗告人の抗告理由について判断する。

三、訓練の要否、程度および内容は抗告会社の判断で定まるから、緊急命令中訓練を命じる部分は訓示的なものであり、また訓練の内容は不特定であるから、訓練を命じる部分は強制に親しまず、その不履行に対して制裁を科するのは憲法三一条に違反するとの主張について。

右四名の者は、解雇以来四年余の間乗務していないこと明らかであるから、実質的に原職に復帰する(すなわち、辞令面だけではなく、実際に航空士・航空機関士・副操縦士として飛行機に乗務する)ためには、若干の訓練を要することは明らかである。前記都労委命令が、原職復帰とならんで、技能を回復するために必要な訓練を命じているのは、実質的に原職復帰させることを目的とするものにほかならない。すなわち、右命令は、かつて乗務していた小嵜らが四年余のブランクによつて低下した自己の技能を回復し、抗告会社において乗務させるのが適当と認める技能水準に達せしめる程度の訓練を抗告会社に義務づけているものと解すべきであるから右命令をもつて単に訓示的なものということはできない。さらに、航空士である小嵜、DC―八型機の航空機関士である田村については、すでに訓練内容が明示され、それに従つた訓練が開始されていること前認定のとおりであるから、その訓練内容が不特定であるとはいえないことは明らかである。また、副操縦士の訓練についても、前記両名審問の結果と本件記録を総合すれば、副操縦士は機長を補佐し、機長に故障があるときは、これに代つて操縦捍を握り飛行機を目的地まで操縦する任務を有するものであるから、かつて乗務していた副操縦士が四、五年のブランクの後に乗務するために必要な訓練は、離着陸の操縦を中心とし、各般の条件を想定し、これに対処しうべき操縦技術を練磨することを目的とし、担当教官において、実機に副操縦士として乗務するに適当な操縦技能に達したと認める段階にいたつて完了するものであつて、その期間は、各個人の能力の差によつて若干の相違はあるにせよ、訓練の内容は自ら確定しており、学科、シユミレーター、実機の各訓練を合わせ、おおむね六か月程度を要することが認められるので、副操縦士についても、訓練内容が不特定であるとはいえない。抗告人の主張は理由がない。

四、裁判係争中の四名の者については、情緒安定、教官との相互連繋を期待することができないので、特に副操縦士の訓練に危険性があり、訓練実施は不可能であるとの主張について。

飛行訓練の内容は、各種の困難な条件を想定して行なわれ、寸秒を争う判断、操作と乗員のチーム・ワークとによりこれに対処しうべき技術を鍛練することを目的とするので、乗員の情緒安定および相互連繋とこれを支える精神的共同がすぐれて緊要であり、その欠如は、しばしば生命の危険を伴う事故に直結するとする抗告会社の主張は本件記録に顕われた諸資料に徴し首肯しうべきところである。したがつて訓練に当る教官と訓練生との間に信頼関係を欠如せる場合に、一方が他方の訓練に当ることは教育的効果の点は別として、叙上の意味において危険であり、このような関係に入ることは双方の嫌忌するところであろうことは想察に難くない。そして、このことは、一たび危険が発生すれば共に生命を失うことになりかねないという事実のみから、にわかに否定し去るわけにはいかないと思われる。

ところで、本件記録に顕われた資料によれば、本件解雇の原因となつた争議行為の前後を通じ小嵜らに相互信頼感を破壊するような行き過ぎと見られるべき言動があり、これがために教官側においても反感を持ち同人らの訓練を担当することを忌避する意向を示していることが認められる。しかしながら、後藤安二審問の結果によれば、このような意向を明示している者は教官十数名のうちの大半というに帰する。したがつて、右事実をもつて訓練の実施が不能であるとし、これを無視して発せられた本件緊急命令の訓練を命ずる部分の違法を主張する抗告会社の主張もまた採用するに由なきものというべきである。

五、よつて、原決定には、所論の違法は認められず、その判断は相当であるから、本件抗告を棄却し、非訟事件手続法二〇七条五項により、抗告費用は抗告人の負担とし、主文のとおり決定する。

(裁判官 仁分百合人 瀬戸正二 土肥原光圀)

(別紙)

本件抗告の趣旨は「原決定を取り消す。」というのであり、抗告の理由は、次のとおりである。

(一) 抗告人(以下会社という。)に対し、小嵜ほか三名の「技能を回復させるために必要な訓練を行なう」ことを命じている本件緊急命令の基礎たる東京都労働委員会の昭和四二年八月二二日付命令(再審査手続における中労委昭和四四年六月一八日付命令も同様)においては小嵜らの技能の低下した事実およびその程度についてはなんら認定するところがなく、右命令の趣旨は必ずしも明らかでないが、もし小嵜らの技能が低下しているならば、その低下の程度に応じてその技能回復のための訓練をすべきことを命じたものと解するほかなく、そうだとすれば、もし技能に低下がなければ訓練の必要がなく、また低下がある場合にはその低下の程度に応じて訓練の内容が異つてくるものといわざるをえない。

小嵜らは、いずれも国家試験に合格してCV―八八〇型機ないしDC―八型機副操縦士、航空士(機種の限定がない)航空機関士の資格を有し、法規上はいつでも乗務するに妨げないのであるが、航空会社は、このような法規上の資格を有する者に対してさらにカンパニー・チエツクを行ない、その技能を判定して乗務させるかどうかを決する取扱としているから、小嵜らを乗務させるについては会社において右のカンパニー・チエツクを行なう必要があり、カンパニー・チエツクにおける技能判定の水準は各航空会社によつて異なるが、法規上定められた水準があるわけではなく各航空会社において自主的に決定するところに委ねられているわけである。

しからば、本件緊急命令にいう「技能回復のための必要な訓練」は、会社が小嵜らを乗務させるために必要と考える技能を回復させるためのものであることは明白で同人らの技能の低下の有無、程度、さらにはこれにもとづく訓練の要否、程度および内容はすべて会社の判断に委ねられているものといわなければならず、本件緊急命令中訓練を命ずる部分は、その実施の要否および内容が命令の名宛人の判断、決定に一任されている意味において性質上訓示的なものであり、またその内容に特定がないものというべきである。このような命令を過料ないし刑罰をもつて強制することは憲法三一条に違反する。

原決定は、右の点に思いを致さず、会社に強制力ある緊急命令違反があると認定し、これに過料の制裁を科した違法がある。

(二) 抗告人が、小嵜ら四名の技能を回復させるに必要な訓練を実施しないのは、訓練は、訓練に当る教官と訓練生との間に信頼関係が存在し、かつ教官が熱意をもつて訓練に当つて、はじめてその実効を期待しうるのであつて、訓練を強制することによつては、その効果を期待しがたいこと、訓練は、機械的になしうる性格のものでなく、教官が全人格を投入して、はじめてこれを行なうことができるものであり、したがつてこれを強制することは人格尊重の理念に反することおよび航空機を用いてする訓練は生命の危険を伴うもので、そのような危険な行為を強制することは現代の文化観念上是認しがたいことによる。さらに右第三点の危険性の理由を敷えんすれば、

(1) 訓練の内容は、高度約三万フイートの上空で急激な気圧低下を起したことを想定して行なう非常緊急降下、油圧装置が故障した場合の操作、水平安定板故障のままの進入着陸等そのどれ一つとつてみても事故と向い合わせの極めて危険なものである。

(2) 会社が、このように危険な訓練を敢えて行なうのは、定期便の運航中万一右のような事故が起きた場合にも旅客の安全を確保しうるよう、充分乗員の技術、チームワークを鍛練しておくことにあることはいうまでもない。会社が自主運航を開始した昭和二七年以来人身事故皆無という世界でも第一位の実績を誇り得る背後には、前述した如く非情な迄に過酷な訓練があるのであり、この訓練の危険なことは、この訓練のために過去三年間に一二名もの訓練殉職者を出しているところからも知ることができる。

(3) ところで、会社は、右の如き訓練を実施するに当つては、機材の完璧な整備は勿論のこと、乗員の相互連繋とそれを支えるべき乗員の情緒安定には特に留意し、情緒の安定に支障を及ぼすような事態がある場合には、直ちに訓練を中止しているのである。

(4) このように、会社が神経質すぎる程に乗員の情緒安定性及び相互連繋に留意しているのは、近年の目をみはる程の機材の精度・信頼度の向上に伴ない、事故原因のうち人的要因の占める割合が増大しているからに外ならない。しかも、ますます高速・大型化してゆく航空機を安全に運航するために、今や、乗員の技倆・人的資質は殆んどその極限を要求され、僅かの精神的不安定、連繋の欠如が直ちに重大な事故に直結することは火をみるより明らかであるからである。

(5) しかるところ、小嵜ら四名は、SCN航法に対する理由のない反対、或は解雇時及びその後の言動から他の乗員・教官から強い反撥を受けており、右に述べた乗員相互の連繋が全く期待しえないばかりでなく、会社としても今尚係争中であつて情緒安定を期し難い同人らに全幅の信頼を措き得ないので緊急命令による技能を回復させるに必要な訓練を実施しなかつた。

本件訓練は、債務者たる会社の意思のみをもつて行なうことができないものである。会社が訓練を行なうには訓練担当の教官に命じ、または他の航空会社に委託して実施しなければならない。この場合、教官は会社との雇傭契約にもとづいて訓練を行ない、また他の航空会社は会社との委任契約にもとづいて訓練を行なうことになるが、いずれも第三者たることに変りがなく、会社はこれら第三者の協力がなければ本件緊急命令を実施しえないのである。

しかも、訓練が生命の危険を伴うものであることは上記のとおりであるから、右第三者と訓練生との間に人間的な信頼関係を必要とすることはいうまでもなく、第三者の協力を安易に期待しうる場合でないことは明らかであるから、このような作為を会社が強制されるいわれはないといわなければならない。

しかるに、原決定は、右の点に考慮を払わず、小嵜らの訓練を命ずる本件緊急命令が間接強制に親しむものと漫然誤解して、会社に対し過料の制裁を課したものであつて、その違法であることは明白である。

なお、会社としては企業運営上、なお危惧の念を禁じえないながらも、原職復帰の点については、昭和四五年八月一五日小嵜ら全員につき、昭和四四年一一月一〇日に遡つてこれを解雇当時(昭和四〇年五月七日)の原職に復帰させる旨を決定し、昭和四五年八月一七日これを同人らに告知し、原職復帰の命令はすでに完全に実施ずみであり、訓練実施の点については航空士である小嵜、DC―8型機航空機関士である田村につき訓練上の障害を克服しうる見通しを得たので、これが実施を決定し、昭和四五年八月二〇日同人らに対しそれぞれシラバス(訓練要綱)を示して訓練を実施したが、CV八八〇型機副操縦士である藤田、DC八型機副操縦士である丸山については航空士、航空機関士に比してその訓練が格段に危険であり、残念ながらこれが実施の見通しを得ることができない実情にある。

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